Misuzu Ebihara様
Suzuya Patisserie
HRAIT YouTubeチャンネルでは、アメリカで成功を収めた日本人へのインタビューシリーズを展開しています。アメリカで成功された方々の過去のご経験、キャリアパス、お人柄に迫ることで、他では得られないアメリカでの成功の秘訣を配信しております。
今週は、ネバダ州ラスベガスで大人気ケーキ・カフェ店「Suzuya Patisserie」を経営されている Misuzu Ebihara様 にお話をお伺いしました。あのブラックピンクのRoséが訪れるほど評判の高い、一流のお店です!
前編では、Misuzu様の学生時代の経歴、初めてアメリカに来られた時のこと、Wynn Resortでの初めての仕事、そして初めての挫折について詳しくご紹介しています。後編は、お店を立ち上げるまでの話、2度目の挫折、今後のビジョン、メッセージなどの内容となっております。インタビューの後編もぜひご覧ください!
アメリカでのペイストリーシェフや製菓分野を目指している方々にとって、この動画は見逃せない内容となっています!
Q. 出身地について
Misuzu様:生まれも育ちも茨城県なんですよね。茨城県の坂東市っていうところです。
(前にちょっとお聞きしましたけど、何かネギの名産地か何かなんですよね。)
Misuzu様: そうですね、ネギが美味しい町です。ネギの匂いするんですよ、常に。だから、雨が降ったりすると、余計に匂いがするんで。それがもうホームの匂いですね。
Q. 小さいころからシェフに興味あったか
Misuzu様: 結構小さい頃からペイストリーシェフになりたいのはあったんですよね。結構ずっと思ってました。
Misuzu様: けど、どういう形で目指していくかは分からなかったんですよね、多分。小さい頃はどうしていいかも分からず、それでも中学生ぐらいになるとちょっと自分で作ってみることもできるようになって、それでなんか友達にあげたりとかして、そこから余計にもっとやりたくなってきたっていう感じですかね。
(ご家族の方に作ったりとかもされたんですか?)
Misuzu様: 料理っていうのはあまりしたことないですけど、ケーキとかクッキーとかは結構作ってましたね。料理って場合によってはねお知り合いとかお母さんお父さんとか作ってるの見て覚える。
Q. 当時はどのようにケーキを習っていたのか
Misuzu様: 本ですね。本で、料理本で、もう本当にあの雑誌を見るような感じで、レシピ本をずっとパラパラパラパラ毎日同じものを見てるんですよ。私、小さい頃って、それは覚えてますね。その本は今でも持ってますし。
Misuzu様: 読むってわけじゃないんですけど、本当パラパラっていう感じで見てっていう感じで、それがすごく楽しくて。そんな感じですよね。多分どっちかというと食べる方が好きだったんですけどね。でも、それでなんとなく記憶に残ったりとか、それを見て作るっていうので、
(そこくらいから実際にケーキとか作り始めた感じなんですか ? )
Misuzu様: そうですね。で、部活をやってた時にケーキを作って、部活のみんなに持っていく土日に持っていくみたいのが楽しくて、みんな喜んでくれるし。
Q. 学生時代(高校時代まで)について。
Misuzu様: ずっと高校まで茨城ですね。本当に地元の高校で、でその後の、文京の学校は東京へ行きましたけど、それまではもうずっと茨城です。部活は、テニスやってたんです。軟式のテニスを。すごく人気がある部活だったんで、確か30~ 40人いたんですよ、同じ学年だけで。で、結構多くてだからそれも楽しかったんだと思うんですけどね。
Q. 高校卒業後について
Misuzu様: 高校卒業後は東京の短大に通って、そこで英語の勉強を少しして。高校の時から留学したいのは決まっていて、それでも「短大ぐらいは行きなさい」と母に言われ、それでじゃあ2年行ったら行っていいことになってなので、とりあえず行ったっていうところです。
(この文京学院カレッジ文京学院短大に行かれて、そこはでも学科としては全然パティシエとか製菓とか関係ない?)
Misuzu様: 関係ないです、英語英文学科ですね(笑)。
Q. 日本にいた時の英語力について
MISUZU様:一応ECCとかは行ってましたけど、人並みにしかできなかったですね。
(やっぱりマインドとして将来的に留学したいとか、海外で働きたいっていうのがあったんですか?)
MISUZU様:先に留学というよりは、多分ECCの方が先でECCの先生に憧れて行きたくなったのが多いと思います。ECCの先生の影響を受けて、海外に対する意識が強くなっていったっていう…(笑)女性の二人の先生だったんですけど、そのお二人の方がECCの先生を始める前、もう本当に直前までイギリスに留学をしてた二人だったんですね。その時のお話とか、二人でヨーロッパをいっぱい周った時の旅行の話とかをいっぱい聞いて、それですごく影響受けたんですよね。
MISUZU様:あとは、英語を喋ってみたかったですね。やっぱり色んなお話聞いて、色んな人とね、日本人の人だけじゃなくて、違う国の人ともコミュニケーションが取れるっていうのが魅力でしたね。
Q. 短大卒業後について
MISUZU様:本当に親のお勧めで卒業後にネバダ州に行ったんですけど、っていうのがやっぱりあの当時は、20年も前なんですけど、やっぱり今よりも大学出た方がいいよっていう感じの世界だったので、留学しても日本に帰ってきて就職するんだから、やっぱり日本の学歴があった方がいいっていうことで、2年ぐらいは行っておきなさいみたいな。
(学生の間に海外に行かれる方もいると思うんですけど、Misuzuさんの場合はご卒業されてから行かれてます?)
MISUZU様:一回でも、学校の1年目の夏に1カ月留学みたいなのはしたんですよ。オーストラリアだったんですけど、それはすごく楽しくて、でもオーストラリアじゃない場所に行きたいなっていうぼんやりとしたのはあったんですけど。そこで、2年間、ネバダ州にある学校でペイストリーアートを専門とした学科で学んでいました。
Q. ネバダ州の学校に通っている時の苦悩
MISUZU様:大変でした、全然ついていけなかったです。でもペイストリーの授業だけはついていけてたんですよ。他の例えば違う学科も取らなきゃいけなくて、例えば歴史とか生物学とかそういうのも少しやんなきゃいけないんですね。そっち系はもう本当についていけなくてどんだけ勉強しても分からない。
MISUZU様:ペイストリーはやっぱり実技の方が多かったりとか、やっぱり興味があることなんで知ってることが多かったりとか本当にめっちゃ勉強して。教科書とかも本当に1ページ読むのに1時間かかることもあったんですね。本当に大変だったんですけど、成績は良かったです。ペイストリーの方のテストはいつもトップでしたよ実技的には(笑)。
(もちろん、元々の才能がお有りで今もご成功されてるんだとは思うんですけど。)
MISUZU様:そんなことないです、本当にそういう才能全然ないと思います、全然です。でも本当に才能ある人っていますよね。最初からできちゃう人いや、そういう感じではなかったです。
(必死に努力してついていった感じなんですか?)
MISUZU様:筆記の方とかは必死にやればやるほど出来るんですよ。やっぱり技術の方は、例えばもう天性の才能がある、もしくはやったことがある最初は全然でしたね。
Q. ネバダの学校に通っているときの周りとのコミュニケーションについて
MISUZU様:全然スムーズじゃなかったです。でも、あたしはすごく頑張ってたので、学校に常に居たんですよ、朝から夜まで。常に英語に触れていたいっていうのもありましたし、もちろんペイストリーの力をつけたいっていうのもあって。それに練習があるんですね。朝練があって、それが毎日っていう時もあって、普通にフルタイムのStudentだったので、常にいるんですね。私が学校にあんま、そこまでずっといる生徒っていないんですよ。こっちのカレッジなので、結構、1クラスあってもう終わりとか言う人多いじゃないですか。でもあたしは常にいるんですよ。学校のどこかしらに。ある意味先生とかには可愛がられそうというか覚えられましたね。やっぱり何カ月か半年1年すれば、やっぱり顔は覚えられてましたし全然できないけど常にいるみたいな。(笑)チームにも最初はコンペティションに出れるような選手ではなかったんです。周りにいるお手伝い、アプレンティスっていうんですけど 手伝いをしたり、洗い物したりとかで、本当にもうそこにいるだけっていうか長い間がそうで、一番最初にバイトしたのが学校の中のレストランのdish washerやったんですよね。
(そういう生徒さんだとやっぱり先生の記憶には残りますよね。関係の続いている先生とか今でもいらっしゃるんですか?)
MISUZU様:今でも関係はありますね。それでもうお店を開けて、最初の何年間かは先生に言う時間もなく、何年間かもう経ってたんですね でも、やっぱり先生には言わなきゃと思って、ラスベガスでお店開けたよっていうのを伝えて、もちろんすごく喜んでくれて。で今年、そのCollege of Southern Nevadaのアドバイザリーボードミーティングのメンバーになって。とってもいい関係性ですよね。良い学生時代を送ったのだなって思うんですけど、すごいあの学校で良かったと思いますし、すごく人に先生に恵まれてましたね。
Q. OPTを利用して勤務を始めたことについて
MISUZU様:OPTでまず働かなきゃいけなかったんですよね。でも、その時には、やっぱり外で働いてちゃんとした仕事をしなきゃいけないっていう…。ワークエクスペリエンスがないと、単位が貰えなくて、卒業にも響いてしまうので、それで絶対にそこで仕事をゲットしなきゃいけないっていう時で。それで最初に働いたのが Wynn Resortです。
MISUZU様:まさか入れるとも思ってなかったんですけど、本当に先生からオススメしていただいて、当時そこでチョコレートを教えてくれた先生がAlex Wynnでチョコレートを作ってる方だったんですね。で、その先生にあの入れてもらったって訳じゃないんですけど、そこに空きがあるかもしれないっていう話を聞いて、その先生のところに行ってお願いしたいですってっていう話をして。そして、そこでは今はハイヤリングできないっていう時期で、その先生が違うレストランに聞いてくれたんですよね。誰かハイヤリングしてるところがないかって。その時にその先生の知り合いの他のレストランの方が空きがあるということで、ラッキーですよね。
(そこでパティシエとしてスタートされるんでしょうけど、どういうレストランだったんですか。)
MISUZU様:そこはすごい良いレストランで3ミシュランも取ってますし、ファイブダイヤモンドも取ってますし、すごい良いレストランでその当時、Wynnの中で一番ハイエンドなコースメニューしかないレストランだったんです。シェフはアメリカンの方なんですけど、すごい有名で、いろんなシェフがここで働きたいっていうふうに来るような、世界中から来るようなレストランでした。
(一流の方たちの動きとか振る舞いとか緊張感ていうのはそこでみれたんですか?)
MISUZU様:見えましたね。今思ってもあそこで一緒に働いた皆さんコックさんとかは今すっごい一流なんですよ。で、その意味分かりますもん。常に料理の話しか、してないし、本当にパッションが強いんですよ。みんな3,4時間早く来るんですよ。本当にみんなやってることがこの仕事が大好きでやってる人たちでしたね。
Q. その後の勤務について
MISUZU様:Alex Wynnで働いていた時は、フルタイムだったんですね。で最後の方になって、もうビザが切れる前に辞めなきゃいけなかったんですけど。その時に学校のコンペティションとかも重なり、毎日働くのはもう難しくなって、Alexはもう辞めなきゃいけなくなってしまいました。で、そのあとにSen of Japanでバイトだけしながら、最後の学校のコンペティションを終わらせて日本に帰ったという感じですね。
(日本に帰ってから入ったBonte Corporationというパン屋さんの方はどうだったんですか?)
MISUZU様:ここはですね、最初の挫折です。身体がね、ついていかなかったんですよ。なぜか分からないんですけど、今まで学生やってコンペティションやってフルタイムで働いてたので、寝る暇がないぐらい大変だったんですけど、これはお仕事だけですし。 自信があったんですね、できるという。でも周りが男しかいないベーカリーだったんですよ。なので、女の人はパートの方とかいましたけど、だからやることはハードっていうのはあるんですけど、すごい重いんですよ。持つものとかも。 常にオーブンの目の前で、最初は焼くだけでその熱にやられたのか、何かの精神なのかは分からないんですけど、身体を壊してしまってですね。それでやめなきゃいけなくなってしまって。で、その時に挫折って言ったのは、私が今までこう頑張ってきたんで、何でも出来るってどんだけでもできるという自信があったので、こう身体がついていけないっていうのが私の中で挫折だったんですよ。で、すごく傷ついて自分の中で「あ、もうこれであたしはもうペイストリーの人生は終わりなんだ」と思ったんですよ。身体もついていかないですし。 じゃあ何しようっていう感じじゃないですか、絶対それだけが目標でしたからね。それで「もうあたしはもうできないのかもしれない」と思って、どうしようと思いながら。結局ドクターストップみたいなのもかかったので辞めなくちゃいけなくなって…。
(それでその時に。)
MISUZU様:もうマイクと結婚することが決まってたので、とりあえず結婚まず先にして。その後も自分は働けないと思ってたけど、やっぱりどんどんやっぱり諦められないとか、「いや試してみようかな」みたいな。またちょっとやってみたいなっていう気持ちはちょっと芽生えてきてですね。で。 またやってみた感じですね。