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アメリカで成功した日本人のキャリアパスと挑戦

グローバル会計事務所の経営者

アメリカ会計士・税理士・経営者

アメリカでの成功者様

Hiro Isogawa様

経営ビジネス

Two Miles会計事務所

HRAIT YouTubeチャンネルでは、アメリカで成功を収めた日本人へのインタビューシリーズを展開しています。アメリカで成功された方々の過去のご経験、キャリアパス、お人柄に迫ることで、他では得られないアメリカでの成功の秘訣を配信しております。


今週は、アメリカ、日本、フィリピン、そしてアルバニアに拠点を置く会計事務所「Two Miles」を経営されている Hiro Isogawa様 にお話をお伺いしました。


アメリカで会計士・税理士・CPAを目指している方々にとって、この動画は見逃せない内容となっています!

Q. 経歴と幼少期について

Isogawa様:大学まで関西で育ち、大学は京都大学経済学部に進学しました。

Isogawa様:幼少期は勉強しろと言われたことはないし、僕も子供に勉強しろって言ったことはないし、ただ、こういう生き方をすることによって、本当にちゃんと人をリスペクトして生きていくことを学びました。そして、自分のことだけじゃなくて、他の人を助けたりすることはほんと大事なんていうことを、彼の両親の背中を見ながら学びました。

 

Q. 学生の頃の将来のビジョンは具体的にありましたか?

Isogawa様:それはなかったですね。ビジネスにはすごく興味持ってたんで、ビジネスを何かやりたい自分でやるかどうかはそこまではね 別に深くは考えてなかったんですけれども、色々な経営の本とかすごく読んだりもしましたし、ビジネスっていうものに興味を持って、しかもアメリカのビジネスとか日本のビジネスとか経営とかそういう違いとかいろんなもに興味持ってましたね。当時は、日本経営がすごく注目されてて、本当に日本が飛ぶ鳥を落とす勢いで世界中から注目されてたんですよね。それに、やはり日本の経営の良さが非常に注目されていましたが、その独特性にも興味を持っていました。同様に、アメリカの経営スタイルがどのようなものかについても、その当時から非常に興味を持っていました。

 

Q. 日本電気(NEC)のお仕事について

Isogawa様:国際的な仕事がしたいっていうことで、最終的には日本電気にお世話になりました。

Isogawa様:最初国際人事部っていうとこに配属されて、人事的な起案って言うんですかね、もちろん入って1年目ですから、そういう意志決定とかそういうものじゃなくて、実務に携わる仕事をさせていただいていました。その後、少しわがままを言ってしまい、今思うと少し反省していますが、海外営業部に異動することができました。異動後は、オーストラリア向けの海外営業の仕事をさせてもらいました。

 

Q. アメリカにわたりMBAを取得の経緯について

Isogawa様:そうですね、ロータリー財団の奨学金がもらえたんですね。それがもらえたんで、もう思い切ってNECを辞めて留学しました。

Isogawa様:アリゾナにある、今は、この学校はアリゾナ州立大学に吸収されたんですね。そこのMBAのコースに吸収されたんですが、元々サンダーバードっていう経営国際経営専門の大学院ですけど、そこに行きました。

Isogawa様:MBA取得後は日本に帰国して。その時はまだ、やはり日本がすごくバブルでねものすごく経済活動が盛んで、アメリカよりもね日本の方が機会が正直であったんで、日本にMisawaVanていうちょうどベンチャー的にMisawaの子会社なんですが、インベストメントバンクを始めたところがあって、そこに入りました。

 

Q. 学生時代の頃、英語はどれくらいできました?

Isogawa様: ちょっと小さい時に1年半ほどアメリカに行ったことがあって、それがやっぱりすごく役に立ちましたし、ある程度英語には他の人よりも親しんでいましたね。日本にいる時は英語使うことがなかったんで、かなり忘れてましたけど、実際にアメリカの高校に行ってもそれほど困らなかったです。

 

Q. その後、独立するまでのキャリアについて

(Misawa Vanで2、3年働いたということですかね。その後にFord Corporationのインターンシップで、1,2カ月程ファイナンスの部門。そして、MisawaVanさんの後にKPMGでロサンゼルスに仕事でこられると。KPMGいう会社はかなり大手の会社ですよね。)

Isogawa様: そうですね、大手の会計事務所です。

ちなみにそういう会社って日本人の方っていらっしゃったりしますか?)

Isogawa様:やっぱり結構いますよ。特にロサンゼルスは結構いて、そこにジャパニーズプラクティスがあったんですね。日本企業向けのサービスを提供する、私はそこで、仕事をしてました。

 

Q. 独立する決断のきっかけについて

その後に実際に独立されて、今のTwo Milesという会社を作られると思うんですけど、やはりキャリアの中で独立するっていうのは思い切ったいろんな決断もあったと思います。その辺はIsogawa様はあんまり懸念されなかったんですか?思い切って飛び出して行こうと?)

Isogawa様:実は友達が立ち上げた会社に参加したんですね。会計事務所に勤めてたんだけど、KPMGでの仕事はあんまり好きじゃなかったんです。お客さんと、距離感が基本的にあって、やっぱりコンプライアンスが物凄く厳しいんで、そういう仕事はあんまり好きじゃなかったから友達が大型自動車をアメリカで買って改装して日本に送るという仕事を始めたんで参加したんですね。すごくそれが伸びて、だんだん取引が多くなってきて、一回友達が50万ドルぐらいで、カナダから一挙に20台くらい車を購入したんですけどそれが届かなくて、詐欺ですね。

Isogawa様:すごく苦しくなって、じゃあ私は自分で自分の首ぐらい別れましたねコンサルティングとかで稼ぎに行くよっていうことを言ったんですが、やっぱり一緒にやってるっていう感じはなくなって自分でやっていくということに結果的になっちゃったんですね。だから自分がやりたくてやったって言うより、何かそういう風になっちゃったので最初はお客さんは1社、そこからスタートしました。

 

Q. 最初は、カルフォルニアの方でスタートしたのですか?
Isogawa様:元々住んでいたオレンジカウンティですね、家で始めました。一人でやっていくうちに、だんだんスタッフが必要になってきて、事務所をオレンジカウンティの方の事務所っていう感じです。そして、だんだんトーランスの方にもクライアントができてきました。

Isogawa様:やっぱり日本人はトーランスに多くて、で、うちのスタッフもトーランスから通っている人が何人かいたんで、通うのはちょっとかわいそうかなと思ってトーランスに事務所を開いたっていうのが本当のところです。しかし、トーランスの方にはほとんど行かないです、月一回行くかどうかってくらいです。立ち上げの当初からずっとオレンジカウンティ中心でトーランスの方はたまに行くというような感じです。

 

会計士・税理士

Q. 当時はトーランスやオレンジカウンティには会計事務所がありましたか?

ISOGAWA様:ありましたね。2000年ちょっとぐらいに私はラフ新報っていう媒体があったんですが、ジャパンテレフォンガイドとかそういうのがあったんですよ。会計士のセクションがあったんで、もうその当時見たら200くらいはありましたかね。

ISOGAWA様:ちょっと最近、それがないんでね、比較はできないですが、当時から、日系の会計事務所っていうのは200くらいありますね。

 

Q. 当時の日系企業の状況と今の状況の違いについて

会計士さんでやられてると、アメリカとかカリフォルニアでの日系企業さんの発展とか衰退とかいろいろ見てきてるのかなと思うんですけど、先生が当時起業された時と今と比べるとどうなんでしょうか。やはり当時、日本経済は凄く良くて活気があった背景を考えると、当時の方が企業の数が多かったりとか、日本人も多かったんでしょうか?)

ISOGAWA様:バブルが崩壊したのが、91年とかですから。だからそういう意味では私がビジネスを始めたのがバブルが崩壊してきたからですからね。日系企業はものすごい元気だった時は恐らく80年代とかもっともっと元気だったんです。ただ、やはり昔の日系企業っていうのはどっちかっていうと、アメリカのものを日本に持っていくとか、そういうのが多かったです。

ISOGAWA様:こっちで買い付けするとか、投資とか不動産なら若干ありましたけど、今はどっちかというとアメリカで商売をする、アメリカをマーケットとして考えないと生き延びれないっていうことで、こっちに来る会社が多いと思いますね、昔に比べれば。

 

Q. ハワイの会計事務所の開業はいつ頃ですか?

ISOGAWA様:約10年前の話ですが、私たちのスタッフの一人がハワイに移住したいと言い出しました。最初は断ったのですが、彼がどうしてもハワイへ行きたいと言うので、「それなら辞めて、ハワイの別の会計事務所で働いてみたらどうか」と提案しました。彼はハワイへ行き、そこで働き始めましたが、やはりハワイが好きで、ハワイに留まりたいと思いました。ただ、現在の会計事務所での仕事には満足しておらず、Two Milesやりたいって言うんで、それでだったら、じゃあ開きましょうっていうことで、10年くらい前に開きました。

 

Q. 日本の拠点について
日本の方にも事業拠点というか、クライアントがいることも多いのかなと思うんですけどそれも結構最初から意識してやられてた感じなんでしょうか?)

ISOGAWA様:繰り返しにしてしまうけど、これも日本に住みたいっていう人が日本から仕事したいっていう人がいたんで日本拠点を作ったっていうのが実情です。

結果的にはIsogawa様にとってはハワイ、日本に拠点があった方が結果的には良かったですよね。)

ISOGAWA様:はい、全体的にビジネスを伸ばしていい意味で良かったと思います。

やっぱり時差の問題がありますからね)

 

Q. 独立されて大変だったことについて

ISOGAWA様:ものすごく大変だったっていうのはないですね。まあ小さいチャレンジは数多くありますけれども、ものすごく大変困ったっていうのは、ちょっと記憶にないんですね。

ISOGAWA様:やっぱり会計士にかかわらずね、自分でビジネスをしようっていうことになりますと、その業界での知識とかが必要になりますけど、やっぱりリーダーシップとかコミュニケーション能力とかがすごく大事になると思いますね。

そういう意味では、先生はやっぱり最初、NECさんとか入られて、通常のサラリーマンの後、会計士さんになったことも、先生が人とのコミュニケーションがお上手なところに繋がってるのかなという気もしますね。)

ISOGAWA様:そうですね、色々な経験をしてそして、それが血となり肉となるって言うか、そういうところは絶対あると思うんですよね。だから、全ての経験が無駄にはならないんです。私がNECの時、生意気だったこと、反省はしてますが、やっぱり勉強になってますからね。そういう色んな体験から意図的に学んでいくこと、そしてしっかりと過去を振り返って、考えて吟味しながらやっていくと、全てが本当に繋がってくると思いますね。

 

Q. 小さい頃にアメリカへ行ったことについて

小さい頃に1年半くらいアメリカに行ったとおっしゃっていたお父さんの仕事の都合ですか?どんなアメリカ生活を過ごされていましたか?

ISOGAWA様:父が化学のようなこっちの研究所にジョイントの研究で来るっていうことで、家族で1年半ほどその時にすごくアメリカが好きになりましたね。スポーツも好きだったし、アメリカってやっぱり色んな意味で遊ぶ場所が多いし、何か楽しかったですね。やっぱり芝生の上で何か色んなことをして遊ぶっていうことはないし、メリーランド州っていうとこだったんですけど、林の中で遊ぶとか、冬は雪が降って、そういうことって日本じゃあんまりできない本当にいい体験でした。

ISOGAWA様:やっぱり子供の頃の記憶とか体験っていうのは、やっぱり大人になっても続くもんだし、その時に「あ、こういう世界があるんだ」とか、そういうことを発見できたことは、すごい大きかったと思いますね。そういうものだけじゃないですけどね、大人になってからでも色んな発見をしていくし。

やはり小さい頃に、日本だけじゃなくて何らかのきっかけで海外に行ってみるとか、違う環境に身を置いてみるっていうのは視野を広げたりとか、自分に違う日本でこう働くだけじゃないチャンスを与える何かのきっかけになるのかもしれないですね。)

ISOGAWA様:自分とは違う人達と付き合う、別の人達の生き方を見たりで環境見たりね、そしてやっぱりその人たちと付き合っていくっていうことは、やはり大事です。日本人は物凄く「こうあるべきだ」というか、あまり外に出たがらない部分がありますね。外っていうのは海外っていうのもあるし、自分のコンフォートゾーンから出ることも少ないです。みんなと一緒に同じようなことをやってれば社会的な常識があって、その中にいればとりあえず安心ということで生活してる部分が多いと思うんですよね。でも、それをちょっと出てみて、色んなことを体験して、それがやっぱり自分の成長につながると思いますね。

 

会計士・税理士

Q. アメリカで働く良さやアメリカでビジネスをする良さについて

ISOGAWA様:アメリカは結構しがらみが少ないですから、日本にいる時に比べたら自由にできると思います。でも、その分、自分がしっかりと自己管理ができないと、しっかりとした生き方はできないと思います。

ISOGAWA様:私はクリスチャンなので、聖書から学ぶことが多いんですが、仕事っていうのは神様が人間のために与えてくださったものということが聖書に書かれています。単に生活をするためだけじゃなくて、人間は神の形に造られて神自体がずっと働いてると書いてあるので、仕事を通して、本当にいろんな発見と人生の喜びを経験していくことができるんです。

ISOGAWA様:だから、そういうことを考えた時に、私は尚更、昔生意気だったことをちょっと反省しています。仕事っていうのは喜びであって、そしてそれによって本当にいろんなものを学んで、たとえその時にチャレンジがあったとしても、必ずそういうチャレンジを乗り越えると結果が出てきます。それが自分の血となり肉となることを積み重ねて、意図的に生きていくことによって、本当に道は開いていくと信じています。

 

Q. 先生が特に「この人はすごいな」と思うような方はいますか?

ISOGAWA様:素晴らしい人というのは、私が仕事柄いろんな人と付き合うので、多くの人と出会います。本当にいろんな人から学ぶべきことや、自分に欠けているもの、どのように生きていくのが良いのかをたくさん学びます。今、ぱっと思い浮かぶ人がいるわけではありませんが、多くのことを学ばせてもらっています。


Q. アメリカ以外の海外事業について

ISOGAWA様:経営者のグループに入っているのですが、そこから、フィリピンの人たちとの出会いがありました。フィリピンで仕事を作り出すという話を聞いて、フィリピン人が地方にいくと仕事がなく、海外出稼ぎに行く人が多いので、家族が離れ離れになる問題があると知りました。そこで、地方に仕事を作り出そうという活動に私も参加しました。今は20人ぐらいで働いてくれていて、それが私にとっても新しい世界を広げてくれています。

ISOGAWA様:来月は15日からアルバニアに行きます。アルバニアも同じような感じで、アルバニアもやっぱりあるからドイツとかね、海外に行かれる方がいて、ヨーロッパの諸国ですけど、仕事がちょっとないんで、そこでも仕事を作り出そうということで現地の人と一緒にやってます。

 

Q. 今後のビジョンについて

ISOGAWA様:結構なるがままにっていうところは多いんですけれど(笑)、やっぱり色んな世界の人たちと仕事をして、そして社員にも世界の人たちと一緒に仕事をする楽しさとか意味のある仕事をするっていうことを発見してもらいたいと思ってますから。アルバニアは一つ現地の人に仕事を作り出すというのもあるし、もう一つは東ヨーロッパっていうところもそうですし、そういう意味でスタッフと事務所があるんですけれどももう一つはアフリカ。アフリカの拠点は作りたいと思ってまして、そうするとね時差的にアルバニアの人がアフリカに教えに行ったり、サポートしたりできますから、そういうことで、また世界中にTwo Milesファミリーって言うか、一緒に仕事をしていく人達ができて、そして各拠点でいろんな人材的な交流があったり、お互い学び合ってそういうことをやっていきたいなと思ってます。

 

Q. 最後にTwo Milesっていう名前はどういう意味なんでしょうか?

ISOGAWA様:これもやっぱり聖書から来てて、聖書の中に「1マイル行けと言われたら2マイル行きなさい」という言葉があって、英語でも一般的には”Going the Extra Mile”「一層の努力をする」という言葉があるんですけど、それだとちょっとありきたりなんで、Two Milesっていう名前を付けました。聖書の中にゴールデンルールっていうのがあって「1マイル行けと言われたら2マイル行きなさい」とか、「あなたがして欲しいと思うことを他の人にしなさい」それがゴールデンルールなんで、それはビジネスにも通じると思います。そういうことを名前付ければ、若干でもそういうことをやる励みになるかなと思って、つけました。

 

Q. アメリカに来る方々へのメッセージはございますか?

ISOGAWA様:やはり自分をしっかりと持ってもらうこと、本当に自分がどういうものであって、そして意図的に、それをもとに生きていく、そういうことをやることによって必ずいろんな道が開かれていくと思います。で、そういうのを持ってないと、例えば日本人ね、アメリカにせっかく来たのに日本人とばっかり付き合っちゃったりする。別に日本人は悪いわけじゃないけどね、日本人は僕はすごくもちろん好きだし、いいんですけど、やっぱり自分っていうものをしっかり持って、自分が何をしたいか、どういう人間になりたいかっていうのをねちゃんと持ってもらったら、それがあることによって、アメリカの人とかとも付き合っていくのができるんです。でそうするとね、アメリカの人とか、いろんな人と付き合っていくことによって色々な考え方を学ぶことができるし、すごく楽しい。その人たちをリスペクトすることによってね、リスペクトは向こうにも伝わりますから、楽しく、そして幅広いオプションができると思います。

ありがとうございます。今日はとても良いお話が聞けたなと本当に思いました。本当に貴重なお時間をいただきありがとうございます。日本だけだとなかなか得られないような視点でのお話もたくさんいただきましたので、今日はありがとうございました。)

ISOGAWA様:こちらこそありがとうございました。