Genta Motomura様
Morimoto本社
Interviewer
Morimoto本社でのコーポレートシェフポジションでのこの度のご採用、おめでとうございます!
Genta Motomura(以下G.M.)
ありがとうございます。
Interviewer
Motomura様の過去のキャリアを簡単に教えてください。
G.M.
18歳で高校を卒業した後、2年間ほど料理学校に行きました。その後、和食の懐石料理の世界に入り、親方から指導を受けるため、関西、広島で修行を積みました。修行の中、海外で和食料理人としての経験を積みたいと思い、アメリカのニューヨークのお店で就労しました。そして、ビザの関係により日本に帰国し、伝統的な江戸前寿司の有名店でさらなる修行を積みました。
海外に出たことで、『今、海外ではお寿司の握りは必須だ』と肌で感じ、海外で懐石料理だけを提供するより懐石の技術+お寿司の技術もないと話にならないと気づきました。
Interviewer
何故、懐石料理、寿司職人さんのキャリアを目指されたのですか?
G.M.
そうですね…元々お寿司より懐石料理の方に魅力を感じておりました。懐石料理ってけっこう幅が広いんです。前菜からデザートまでのメニューを一通り全部調理します。例えば、その八寸、焼き物、煮物であったり…。初めは、まず全ての和食調理をできるようになりたいと思い、懐石を始めましたね。
懐石料理を一通り全部覚えた後、今度は海外での経験に興味を持ちました。実際、海外に行ってみて、アメリカでお寿司が大人気だということを知りました。海外に出たことで、『今、海外ではお寿司の握りは必須だ』と肌で感じ、海外で懐石料理だけを提供するより懐石の技術+お寿司の技術もないと話にならないと気づきました。そして、アメリカでの修行を終え、日本へ帰国し、日本の誰も知っているような江戸前寿司のお寿司屋さんで1から修行をしました。そして、寿司の握りの技術を習得した上で、もう一度、懐石の技術と江戸前寿司の伝統的な技術を持って、アメリカで勝負したいと思っています。
Interviewer
おいくつくらいの時に料理人を目指そうと志されたのですか?
G.M.
高校生の時に、高校卒業に当たって何かしら進路を決めるじゃないですか。その時に、大学なのか、そのまま就職なのかと色々考えた時、当時は大学に行くということが全然選択肢無くて・・・。大学に行くんにしてもそこまで大学でやりたいこと、というのがなかったので何か技術を身につけたい…と思っていました。その時、ちょうどアルバイトをしていて、料理が好きだったので、料理の世界で修行したいな、さらに技術を身につけたいな と思い、シェフを目指しました。
Interviewer
アルバイトはどういうお店でお仕事をされていたのですか?
G.M.
当時高校生で15歳から18歳ぐらいまで3年間、1つの焼肉屋さんでやっていました。当時から、高校生なのに大学生のアルバイトより包丁を上手に使っていましたね!
Interviewer
では昔から手先が器用ということで?
G.M.
器用とは言えないのですが、料理が好きだったので、包丁を良く使っていました。今思い出すと、それが良かったのかなって改めて実感しています。
Interviewer
ご家族が飲食業を営んでいたのですか?
G.M.
家族は飲食業界とは一切関係ない仕事をしていました。たまたまアルバイトで入社した焼肉屋さんで頻繁に包丁を使う機会があって、包丁を扱う楽しさに目覚めたと言いますか。当時、それが楽しい…というふうに思いましたね。
Interviewer
焼肉と懐石・寿司料理・は全く違う業態ですよね。まさに、キャリアチェンジですね!
G.M.
そうですね…まぁ業態とか業種は違えど、 同じ延長線上にあると言いますか。包丁を使ってレストランをやるっていうところはそれほど変わりません。もちろん、技術は違うので、包丁さばきのレベルは上がりました。でも、自分の料理のレベルが上がっていくことを楽しめました。というか、今考えると、当時それが面白かったなと思います。
Interviewer
日本では、寿司職人と懐石職人としての修行はだいたい何年ぐらいされていたのですか?
G.M.
実際 18から現場に入って修行を積んだので、約18年とか20年近く経っています。まあ細かく分けると、10年間 懐石料理の修行、10年間 江戸前寿司の修行をしたといったところですかね。
Interviewer
日本で修行された後、アメリカのニューヨークに所在していたRosanjin社で懐石料理のシェフとしてご活躍されていたと思います。その時は、何故ニューヨークに渡米して懐石シェフとしてお仕事を始めたのですか?
G.M.
日本にいるときは、まだ一度も海外に行ったことがなかったんです。当時、25, 26歳くらいだったのですが、海外で日本料理というものはどのように世界のお客様に食されているのかな?どのような感じで レストランで日本食って出されているのかな?というのをすごく勉強したくて。
当時は、ニューヨークだけじゃなく、 オーストラリアに行くという選択肢にありました。それは、特に理由はないのですが、私の中でオーストラリアかアメリカかどっちかに行ってみたいなっていうのがあり、当時、周りの大人へいろいろ質問を投げかけたところ、世界ので『どのような日本料理が出されているのか』を見たいのだったら、オーストラリアよりアメリカのニューヨークに行った方が勉強になるのではないかという意見をいただきました。その時に、ニューヨークいいなあ、ちょっとかっこいいなくらいな感じでニューヨークに渡米することを決めました。たまたま知り合いがニューヨークのRosanjinで料理長していたので、お店に遊びがてらご挨拶をしに行きました。そこから関係を持つようになり、料理長から気に入っていただき、そこからはもうトントン拍子っていう感じで、料理長からお店で働くか?と話をいただきました。そして、一度日本に帰り、就労ビザを取得し、ニューヨークで働いたという感じですね。ニューヨークで働いた経験はすごく楽しかったです!!
Interviewer
ニューヨークでは何年くらい働かれたのですか?
G.M.
二年間です。ですが、残念ながら当時のお店は潰れてしまいました。ニューヨークでは、お店の入れ替わりが激しいのでそのような事は多々あるのですよね。ニューヨークでの経験を機にもう一度日本に帰って徹底的に今度はお寿司を勉強しようと思いました。初心に帰ってじゃないですけど、一から寿司を勉強しようと思い、修行をやり直しましたね。
アメリカでのマネジメント、部下・後輩・同僚に対する教育の仕方についてはすごく考えさせられましたね。
Interviewer
ニューヨークでのご経験は今どのように活かされていますか?
G.M.
物凄く活かされていて、日本で生活しているだけでは、見られなかった点も数多くあります。例えば、アメリカや海外と日本の職場環境を比較すると、日本は日本料理、懐石料理の老舗レストランだと、職場環境やハラスメントがけっこう厳しいお店が未だに点在します。そう言った面で、アメリカでのマネジメント、部下・後輩・同僚に対する教育の仕方についてはすごく考えさせられましたね。
Interviewer
ニューヨークにいる際に、英語も習得されたのですか?
G.M.
英語は、以前、アメリカで語学学校とかも行っていました。また、ニューヨークのお店では、仕事中に、現地の従業員と英語で話すことは多々ありました。そこで、コミュニケーションを取らないといけないので、やばいな…と思って、当時は徹底的に勉強しました。
Interviewer
努力されて来られたのですね。
G.M.
努力というか…もう必死だったので。本当に英語の勉強もやらなきゃついていけないという感じでした。
Interviewer
その時のニューヨークのお店のオーナーさんは日本人の方だったのですか?
G.M.
当時は韓国人の方でした。
Interviewer
従業員の方もアメリカ人の方が多かったのですか?
G.M.
アメリカ人の方もいましたし、他国の方もいました。いろんな国の人がいて、日本人ももちろんいました。
Interviewer
多様性があって面白いですね!
G.M.
本当にそうですね。初めての経験だったので、多様性という部分もすごく楽しかったです。
今までは、当たり前のように料理を出して終わりだったのが、出し方もちょっと演出を加えたりとか、ちょっとサプライズ感を出したりとか、さらに高級感のある見せ方というか…プレゼンテーションの仕方は勉強しました。
Interviewer
その時に感じたアメリカでの懐石シェフと日本の懐石シェフの違いはありますか?
G.M.
今思えば、アメリカで料理人をしていた時は、日本だったら説明しなくても当たり前のようにわかることがアメリカでは、日本人じゃない外国人のお客様にお料理を出すってなった時、当たり前にわかるでしょってことがわからなかったり・・・そういう時にお客様の目の前で見せる仕事を覚えましたね。今までは、当たり前のように料理を出して終わりだったのが、出し方もちょっと演出を加えたりとか、ちょっとサプライズ感を出したりとか、さらに高級感のある見せ方というか…プレゼンテーションの仕方は勉強しました。
Interviewer
その後日本に帰られて、新しいキャリアとして銀座久兵衛さんで寿司職人としてご活躍されたと思うのですが、その時はどういったことを学ばれましたか?
G.M.
初めて本格的な、世間でいう高級寿司、江戸前の老舗店での江戸前寿司の技術を学びました。 仕込み、下処理などは、元々懐石をずっとやっていたので、魚を下ろしたり野菜やったりとかは全然問題なかったです。寿司の切り方、準備の仕方などは、目から鱗な技術がたくさんあって、色々教えてもらいました。あぁそういうやり方をするのだ、というのが多々あり、伝統的な江戸前の仕込みなどは勉強になりました。
Interviewer
銀座久兵衛さんではどれくらい働かれていたのですか?
G.M.
実際4年弱です。基礎があったので、職場にはすっと入り込めました。ただ、基礎がある分、こういうやり方のほうがいいのになっていうことも多々ありました。学ぶものももちろんたくさんあるのですが、それ以外にも比較することが多くなりました。 これとこれなんかやってみようとか…良い意味で選択肢がものすごく広がりました。逆に、こっちのやり方したらもっといいのになって思うことも多々ありましたけど。伝統的な江戸前のお寿司を覚えられたので、寿司技術のレベルの平均が自分で分かるようになりました。ここのラインを超えると良い寿司と言われているのだな、とか。これ以上クオリティを下げると高級寿司はできないな、とか。世の中の基準が自分の中でできたっていうのがものすごく大きいですね。
Interviewer
Motomura様から見てアメリカの寿司職人さんと日本の寿司職人さんはどう違いますか?
G.M.
私的には、アメリカの寿司職人さんは2種類いると思っていて、1種類は基礎を知らずにそこで寿司を握るしかないからその仕事をしている。要するに、基本がないけれど、そこで働くためにやっているっていうパターンです。もう1つは、日本で徹底的に修行した後に、海外で挑戦するというパターンの人もいます。海外には、本当の寿司技術を知らない寿司職人もけっこういます。そこはちょっと残念なところあるのですけど、でもそのアジャストするために、海外ではカリフォルニアロールとかあるじゃないですか。それはそれで大事な事ではありますよね。そう言った点で、アメリカの料理人は、生き抜く力が皆さん凄いなとは思います!寿司の技術が最初なくてもそこで生き抜くためにそれでやっていくっていうやり方もそこは 僕はけっこうすごいなぁと思ってて。
日本の寿司職人さんはアメリカの寿司職人さんのことを「本当の寿司の技術が無いのに、海外でフュージョン寿司を握っている」と思う方も多いです。フュージョン寿司は、アメリカならではのすごい技術なので、料理の種類の一つとして尊敬しています。
寿司の基礎を覚えるのは、けっこう時間がかかるのですよ。僕も、基礎を覚えるために、約20年近くかかりました。なので、寿司の技術を持った職人として海外で料理人として仕事をすることは、単純にすごいなあと思っています。海外で働いている方は、サバイバル能力が高いと純粋に思います
海外で活躍されている人材を見て、さらにこれからの若い世代の人たちがそういう方々の活躍をみて、海外で仕事をするという夢を持っていければいいですよね。「海外でも稼げるんだ」ということを目指してくれたら一番良いですね!
Interviewer
今、日本のニュースで、『高い給与を求めて海外へ”出稼ぎ”を考える人が増えている』と話題になっていますよね。日本からの海外出稼ぎで、特に、寿司職人さんが注目を集めていて、海外へ拠点を移す寿司職人さんも多いと思います。海外進出を目指す職人さんへ向けてアドバイスなどありますか?
G.M.
寿司職人に限らずですが、日本人がアメリカや海外諸国にどんどん出ていき、日本の素晴らしさを世界にもっと発信していければ良いですよね。また、海外で活躍されている人材を見て、さらにこれからの若い世代の人たちがそういう方々の活躍をみて、海外で仕事をするという夢を持っていければいいですよね。「海外でも稼げるんだ」ということを目指してくれたら一番良いですね!
若い世代がどんどん世界に出て行って、新しいことを学んで、その技術や知識を持って、日本へ帰国してもいいと思うし、そのまま世界で活躍できる人材になるのもいいと思います。日本は島国なので、なかなか海外に出る機会がないのですが、日本人がもっともっと世界に羽ばたいて活躍してほしいなと思います。
Interviewer
Motomura様のような寿司職人さんが、どんどん世界で活躍できる環境があるといいですね。
G.M.
はい、もっと高みを目指して突き進むと、技術や知識のレベルも上がっていくでしょう。 世界のほうが稼げるってなると、日本もちょっといよいよ危機的な状況になりますよね。賃金を上げざるを得ないかもしれませんよね。将来的に、日本も良い方向に給与が上がるような社会になればいいなと思います。
Interviewer
やはり、お給料の面は日本とアメリカでだいぶ違いますか。
G.M.
だいぶ違いますね!もう笑っちゃうぐらい違いますね。 特に寿司職人や料理人は。
Interviewer
アメリカだと、ヘッドシェフ クラス(料理長)になるとどのぐらいのお給料になるのでしょうか。
G.M.
詳しい相場は分かりませんが、私はアメリカでシェフになるなら、年収10万ドル(日本円:6/2現時点の日本円レート 約年収1390万円)というのは最低限の給与目標に掲げていました。そして、今回は、HRAITさんのご協力のおかげで、Morimoto社からそれ以上の採用オファーを$110K(日本円:6/2現時点の日本円レート 約年収1540万円)をいただけました。日本で、料理長やヘッドシェフになっても、その給与額は絶対ありえない数字です。
Interviewer
そうなのですね。
G.M.
はい、絶対あり得ない金額ですね。よっぽど待遇の良い外資系の大手ホテルグループ企業の総料理長とかになれば、それはまた話は別ですけど。まず普通の一般企業でなかなかその金額はいただけないです。外資系の大手ホテルグループ企業のシェフの従業員ピラミッドの一番上のポジションに行かないと、通常もらえない給与額です。例えば、ピラミッドの2番、3番手のポジションくらいだと、その給与をいただくことはちょっと厳しいですね。
福利厚生・待遇に関しても、『交渉をする』というというのがアメリカでは普通ですよね。
Interviewer
日本とアメリカを比較すると、福利厚生・待遇の面はどうですか?
G.M.
それは間違いなくアメリカの方が良いです。あと、文化の違いなのかな、福利厚生・待遇に関しても、『交渉をする』というというのがアメリカでは普通ですよね。日本だと、福利厚生・待遇・給与交渉を話しづらい環境です。交渉する=わがままな従業員という感じに見えてしまうので、そこはちょっと違いますね。
今回、北河さんが決まる寸前に、『交渉しませんか?』と提案してくれたじゃないですか。その時に、確かにその給与額いただけたらなと思ったのです。そういう風に、HRAITのリクルーターさんが求職者と企業の間に入って、交渉の手配をしていただけて本当に良かったです。妻も感謝しています。
Interviewer
弊社のサービスがお役に立ててよかったです!!オファーが出た時に、弊社スタッフが間に入って交渉しますよ、と提案したことでMotomura様の希望通りのオファーが叶えられてよかったです。しかも、その交渉がMotomura様のご希望通りに進み、私や弊社スタッフ一同、本当に自分たちのことのように嬉しかったです。今回、森本さんで入社が決まりましたが、 今回のビザステータスはどういったものでしょうか?
G.M.
ビザのステータスはIR1という移民ビザとなり、婚姻のビザです。アメリカ市民の配偶者というビザにあたります。多分もう少し経ったら、グリーンカードが届くはずです。そのビザがあったので、だいぶ心強かったです。焦らずに就職活動ができました。
Interviewer
奥様はアメリカ市民の方ですか?
G.M.
そうですね。
Interviewer
奥様とはどこで出会われたんですか?
G.M.
銀座九兵衛で働いているとき、神戸で知り合いました。僕がアメリカで、寿司職人として活躍したいと思っていたことは、妻も知っていました。彼女が、僕の夢をずっとサポートしてくれました。例えば、英語でのビザ手続きも助けてくれて。今回、Morimoto社で採用が決まって、妻もニューヨークには行ったことはあるのですけど住んだことはなく、ニューヨークに住むのは 1つの夢と話していました。タイミング的にも、今回夫婦ともにこれ以上ないお話を頂いたなと思って…改めて、ありがとうございます。
Interviewer
奥様は確かオハイオのお生まれっておっしゃっていましたよね。オハイオ〜ニューヨーク間はそんなに遠くないですよね。
G.M.
そうなのですよ!今回、待遇面でMorimotoさんとお話をしていて、オーナーの森本シェフから「アパートを見つけるためだけに一度来てもいいですよ」って言ってもらって、 移住する前にニューヨークに行くって話をしていました。5月の早いうちに、N Yに渡米して一回内見に行って、 アパートを決めてまた日本に戻って渡米するっていうような話をしていたのですが。子供が小さいので2回行くのはけっこう負担になるので、5月後半にニューヨークに渡米し、3日間ほどホテルに泊まり、そこでアパートを見つけ次第、オハイオの妻の実家に帰ろうと思っています。可能であれば、日本に帰らなくてなると飛行機代が浮くので、その分をできたら オハイオの方に回していただきたいという話を相談しております。
Interviewer
今回、約一年半かけて、私がMotomura様の担当をさせていただき、弊社の方よりかなりの求人案件をご紹介いたしました。そんな中で色々な求人情報をご検討いただきましたよね。サンフランシスコ、ロサンゼルス、ハワイ、マイアミ、ボストンなど、様々なロケーションでのお仕事をご案内しました。ですが、最終的に、Morimoto社への入社に決定した理由は何故ですか?
G.M.
もちろんタイミングが大きな要因の一つではあります。タイミング以外ですと、オーナーの森本シェフさんが僕を評価してくれて、猛烈にアタックしてくれたので。面接の中で、「もう今日決めるつもりです!」みたいにおっしゃっていただき、凄く良い評価をいただきました。「ドラフト断トツ1位です」みたいな感じで言ってくれて。もう速さというか、気に入ったら『はい!もう決まり』という感じでした。社長さん自ら、面接してもらえると、話が早いじゃないですか。間に2~3人のインタビューとかあると、長くなりますし、話がだんだんこじれてきますよね。また次の面接もするということで、どんどん時間がかかっていって。そういうことが過去にありました。とにかく、採用オファーまでが早かったなというところが一番の理由ですかね。
Interviewer
以前から森本シェフのことをご存知だったんですか?
G.M.
もちろんです。飲食業界では有名な方なので。海外で挑戦する料理人で、彼を知らない人はあんまりいないかなと思います。まず、直接お話しできると思ってなかったですし。さらに、直接オファーをいただいて、こちらの要望にも応えてくださったので、ここまで評価して気に入っていただけるのでしたら、断る理由が一切なかったですね。
Interviewer
今後のアメリカでの生活への期待やこういうことにチャレンジしたいなどありますか?
G.M.
ようやくアメリカで仕事を開始できるので、どんどん世界を見て、もっと和食文化を広めていきたいです。もっと美味しいもの作ってね! 自分のお店を開店したいという思いもあります。海外でどんどん活躍していき、世界のお客様にその技術を見せていけたら嬉しいです。
Interviewer
今後のMotomura様のキャリアの展望 ・ 夢・目標を教えてください。
G.M.
将来は、まず一店舗目を自分でオープンして、そこから1店舗目にとどまらずどんどん世界で出店したいです。今回はその目標を実現するためにアメリカに行くのですが、最終的には世界中で 自分のお店を作っていきたいです。
Interviewer
最初は、弊社代表の高橋のLinkedInからMotomura様へスカウトのメールをお送りして、お知り合いになりましたよね。
G.M.
そうですね。高橋さんの方からお仕事のご紹介いただいき、直接私が多分、高橋さんのメールへご連絡を送りました。
Interviewer
弊社のサポートいかがでしたか?
G.M.
もう大変助かりました。挑戦したい料理人と海外の企業をつないでくれて、HRAITさんは大変ありがたい仕事をしてくれたので今回、本当に助かりました。ありがとうございました。
Interviewer
高橋との出会いから約1年半経ち、今回、Morimoto社で採用が決まって、改めておめでとうございます!!
G.M.
ありがとうございます。今後、僕のシェフの友人などもHRAITさんへ紹介してもいいですか?
Interviewer
もちろんです、弊社スタッフが就職活動のサポートをします!!